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名古屋高等裁判所 昭和60年(ネ)352号 判決

控訴人 伊藤逸郎

右訴訟代理人弁護士 在間正史

被控訴人 国

右代表者法務大臣 遠藤要

右指定代理人 三橋正夫

〈ほか四名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金二四二万七九二〇円及びこれに対する昭和五五年四月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  被控訴人

主文同旨の判決

第二当事者双方の主張及び証拠関係

《省略》

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求を理由がないものと判断する。その理由は、つぎのとおり付加訂正するほかは原判決の理由と同じであるからこれを引用する。

【一 請求原因1の(一)及び(二)の事実は、いずれも当事者間に争いのないところである。

二 そこで、請求原因2の(一)の点について検討をする。

医員が、国家公務員法二条一・二項、同法付則一三条、人事院規則八―一四に基づき日々雇い入れられる非常勤の一般職員であって、その任命は、病院長の選考を経て学長によってなされることは当事者間に争いのないところである。しかして、《証拠省略》によれば、文部省大臣官房長、文部省大学学術局長は、かねてから、医員の任命権者である附属病院を置く国立大学長に対して、医員の常勤化防止のためその任免については以下のような取扱いをすべきことを指示してきていることが認められる。すなわち、①医員の任期は一日とし、継続して勤務させる必要がある場合には任用を日日更新することができること、②しかし、右更新については一二か月を超えない範囲内でその終期を定め、右終期到来後は引き続き採用しないものとすべきこと、以上のような指示がされているのである。したがって、特定の医員についてその採用の当初に定められた右更新期間が満了した場合、医員は当然に退職するのであり、右更新期間満了後も医員として勤務することを欲する当該医員としては再度あらためて病院長の選考を経て医員として採用されるという方法を選ぶべきことはきわめて明らかであって、右更新期間の満了した医員が継続して採用されることを病院長に対して明示的に希望しさえすれば、当然に当該医員の継続採用が決定され、それに沿う辞令が交付されることになるという趣旨に帰着する原告の請求原因2の(一)記載の主張は、もとより失当であって、当裁判所のとうてい左袒できないところというのほかはない。

三 ついで、請求原因2の(二)の点について検討をすすめる。

《証拠省略》を総合すれば、(ア)原告は、昭和五五年度任用期間についても引き続え神経精神科所属の医員として採用されることを希望していたこと、(イ)原告は、それ以前の医員任用期間については昭和五五年三月三〇日の経過をもってその期間が満了したため、同日医員を退職したこと、(ウ)しかし、原告に対しては、同年四月一日付の「昭和五五年度任用期間について神経精神科所属の医員に任命する。」旨の学長からの辞令が交付されず、結局、昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用されたい旨の原告の希望はかなえられなかったこと、以上の点が明らかであるが、《証拠省略》を総合すると、その間の事情・経過については、更に以下のような事実を認めることができる。すなわち、病院長が、医員を選考するにあたり、科長会議等の当該附属病院の諮問機関に諮ることは差支えないとされているところ、

1  医員を採用するための行政的手順としては、採用すべき医員の給与等の支給に当てるべき予算措置をあらかじめ講じておくことが必要不可欠である。そこで、岐阜大学病院事務部においては、昭和五五年度任用期間についての医員採用を行うための前提として採用すべき医員の給与等の支給に当てるべき予算措置を講ずべく、まず、同年一月ころ、各診療科長に対し、当該各診療科が昭和五五年度任用期間について採用を予定している医員の氏名、員数の提示方を求めた。ちなみに、右提示要請に対して、神経精神科長であった難波益之は、「同科としては、当時同科所属の医員として勤務していた原告を含む四名の医員を継続して採用したい。このほか、昭和五五年度任用期間中に臨床研修課程を修了する二名の医員(研修医)を医員として採用することと、他に一名の医員を新規採用することを予定している。」旨の回答をした。

2  病院事務部の右1のような提示要請に対する各診療科長からの回答にかかる医員採用予定者数や昭和五四年度任用期間における各診療科ごとの医員採用実績を参考としながら、同大学病院事務部が関係諸機関と予算折衝を重ねた結果、昭和五五年三月中旬ころまでに、右予算措置を講じ、同大学病院全体で採用の可能な昭和五五年度任用期間についての医員定員の確定をみるに至った。そして、これを受けて、同月二四日、病院長の医員選考の諮問に答え右医員定員を各診療科に割り振ることの協議等のため科長会議が開催された(なお、右同日科長会議が開催されたことは当事者間に争いがない。)。この席上、難波科長は、「神経精神科としては、原告を含む四名の現職医員の継続採用のほかに、医員(研修医)一名をあらためて医員として採用することが必要である。それ故、同科所属医員の定員として最低五名の枠が必要である。」旨主張、要求し、その結果、右科長会議においては、昭和五五年度任用期間についての神経精神科所属医員の定員を五名とすることが諒承された。

3  右科長会議においては、昭和五五年度任用期間についての各診療科ごとの医員定員についての決議が行われたため、同大学病院事務部は、医員制度が発足した昭和四五年から引き続き同大学病院においてとられている方法・手順――なお、この方法・手順は以下①ないし③のとおりである。①同大学病院事務部は各診療科ごとの所属医員の定員についての科長会議の決議があると、この数に見合う枚数の医員申請書用紙(この用紙は、医員として採用されることを希望する者がその氏名、勤務期間、勤務希望日等を記入し、そのうえで、同用紙上欄の「右の者を当該診療科所属の医員として採用したいので承認願います。」旨を記載した病院長宛の不動文字の上申部分に担当科長が署名・押印する形式となっている。)を各診療科長に対して配布する。②そして、右医員申請書用紙のうちの医員採用希望者の記入すべき部分に当該希望者が所定の事項を記入し、ついで、右上申部分に担当科長が署名・押印して、これを同大学病院事務部に差し出すと、同部は、これらを取りまとめて、医員の選考権者である病院長に提出してその決裁を求める。③右決裁が終わると、当該医員採用希望者は病院長の選考を経てその採用が決定されたものとされ、ついで、その者に対する学長名義の辞令発付手続が同大学医学部事務部の手によってすすめられる。――に従って、医員任命手続を行うべく、まず、各診療科長に対し、各診療科所属医員の定員数に見合う枚数の医員申請書用紙を配布した。

4  神経精神科においては、同月二五日ころ、昭和五五年度任用期間についても同科所属の医員として採用されることを希望していた原告を含む四名の医員に対して同科長秘書を介して右医員申請書用紙が配布された。そこで、原告は、直ちに自己の記入すべき部分への所要事項の記入を了して、これを担当科長である難波益之に対して差し出した。

5  これを受けた難波科長は、同月二六日、原告を同科長の研究室に呼び出し、医局内規試案(同科の構成員を拘束する内部的規則を制定するために、制定すべき規則の原案として同科に所属する教授・助教授・講師・助手及び医員を構成員とする医局会議でそのころ討議が重ねられていた試案であって、同科の人事運営及び予算執行を右医局会議の決議に基づいて行うべきことをその主たる内容とするもの)についての原告の意見を糺した。そして、同科長は、「右試案の内容は正当・妥当なものであるからこれを支持する。」旨主張する原告に対し、その主張を撤回することを求めたが、原告は、これに強く反発し、その意見・主張を変える意向のないことを表明した。同科長は、このような原告の態度やそれまでの原告の勤務状況――とりわけ、特定の日のシュライバー業務(カルテの口述筆記業務)が右の内規試案所定の教室委員会議(すなわち医局会)によって承認されていないことを理由に、難波科長の行う診察の際にもシュライバー業務に就くことを拒否してきた原告の行動――に徴し、控訴人の右態度、言動は妥当でなく協調性を欠き、このような挙にでる控訴人は同科の医員として不適当な者であって、もしも原告が昭和五五年度任用期間についても同科所属の医員として採用されるようなことになれば、同科長としては、同科の業務を責任をもって統轄して行くことが困難であると判断するに至った。そこで、同科長は、原告に対し、「原告から同科長の手許に医員申請書が差し出されているけれども、自分は、病院長あての前記上申部分に担当科長として署名・押印する意向がない。」旨を告げ、そして、同科長は原告の右医員申請書を同大学病院事務部に提出しなかった。

6  しかして、右1及び2に記載したように、昭和五五年度任用期間についても原告を神経精神科所属の医員として採用すべきことを予定して同科所属医員の定員が決められ、しかも、原告自身も同採用希望の意思を明示していたのにもかかわらず、難波科長が同大学病院事務部に原告の医員申請書を提出しなかったため、同部においては、原告の医員採用手続を進めるべきか否かの対応に苦慮し、難波科長と同大学病院長に対して原告の医員採用希望をどのように取り扱うべきかについて、その指示を求めた。これに対して、難波科長が「原告を採用することは不適当と考える。」旨の意見を表明したため、難波科長の右意見を知らされた病院長においても、「担当科長が原告を採用することに反対であるのならば、病院長としても原告の採用が適当であるとは判断できない。原告については、その採用手続を進めるには及ばない。」旨の意向・指示を伝えるに至った。そこで、同大学病院事務部が原告の採用に関する事務的手続を進めなかったため、原告は、昭和五五年三月三〇日に昭和五四年度任用期間についての医員としての任期が満了して退職し、「昭和五五年度任用期間について神経精神科所属の医員として採用する。」旨の同年四月一日付の辞令交付を受けることができなかった。

以上1ないし6の各事実が認められ、この認定に反するような証拠はない。

以上1ないし6の事実に徴すると、岐阜大学病院においては、医員の選考等にあたって、(一)制度上の医員選考権者たる同大学病院長は、個々の医員採用希望者を同大学病院の医員として採用するのが適当であるか否かの判断を当該医員採用希望者がその採用後に配属されることを希望している診療科の科長に事実上委ね、右担当科長の意見・判断を参考にして医員の選考を行っていること、そして、(二)右担当科長の意見・判断を確認する便宜上の方法として、まず、医員採用希望者がその医員申請書を担当科長に差し出し、ついで、右提出を受けた担当科長において、当該医員採用希望者の採用が適当であると判断した場合に、右医員申請書上欄の前記上申部分に自己の署名・押印を施して、これを病院長に提出するという方法をとっていること、以上の点が認められる。】

また《証拠省略》を併わせ考えると、昭和五五年三月中には同科において同年四月一日以降における同科の宿日直計画や診療室割当の計画がたてられ、これらの計画の中に控訴人も組込まれていたことが認められる。

以上の認定、説示の事実からすると、①控訴人主張のように同年三月中旬頃までに同年四月採用予定の医員等の給与等に関する予算措置ができていたこと、②その頃までに、同大学病院全体で、昭和五五年度任用期間についての採用可能な医員の定員数の確定をみていたこと、③同年三月二四日開催の科長会議において同年四月以降の神経精神科の定員を五名とすることが諒承されたこと、④同年三月二五日頃に同科において同年四月以降同科所属の医員として採用の希望を有するとみられた控訴人を含む四名の医員に対して同科長からその秘書を通じ医員申請書用紙が配布されたこと、⑤同年三月中に同科において控訴人を組入れた同年四月一日以降における同科の宿日直、診療室割当の計画がたてられていたことが解るけれども、同時に前同様前記認定、説示の事実からすると、右②③の点から、これらをもって控訴人の医員としての採用が実質的に決定されたり、それが内定したり、医員の選考手続が終了したりしたとはいえないことも明らかであり、とりわけ、同大学病院の医員の任命は同病院長の選考を経て同大学学長が行うこととされていることは前記のとおりであるから、同科長とか科長会議とかに医員を選考したり、医員採用の内定をしたりする権限のないことについては、多言を要せず、右④の右医員申請書用紙の配布についても、前記認定、説示の事実からすると、これは文字どおり医員採用のための申請用紙の配布にすぎないもので、これが医員採用のための選考結果の告知であるとか、採用内定の通知であるとかいえないことが明らかであり、このようにいうことは前同様同学長や同病院長の責任や権限を忘れた主張であって牽強付会のそしりを免れず、とうてい採用できない。また右⑤についても、前掲各証拠によると、右の宿日直や診療室割当の計画は、その計画表作成時点における在勤者を前提として、またその者が新年度にも採用された場合を仮定して事務処理の便宜上あらかじめ予定として作成されるにすぎないものであることが認められるのであり、ついで右①についても、そのように予定定員に見合う予算措置を講じたことが、控訴人の医員の内定の成立を認めさせるに足りるものでないことも見易い道理であり、結局右の①ないし⑤の各点は、これらを個々的にみても、又これらを総合して考察しても、これらのことによって、昭和五五年三月二四日又は翌二五日頃に控訴人の医員としての採用が決定されたり、それが内定したり、医員の選考手続が終了したりしたとはとうてい認められないし、固より他にこれを認むべき証拠はない。

右のとおり、控訴人の請求原因2の(二)の主張は理由がなく、控訴人は、その任用更新の終期たる昭和五五年三月三〇日の到来によって、難波科長や、同病院長、同学長らの何らの行為をまたず、当然に同病院を退職したものというべきである。

四 そこで控訴人主張のように難波科長に違法行為があったかどうかについて検討する。

1 控訴人は、まずその主張の同科長の医員申請書提出の手続(すなわち請求原因3(一)の③)を同科長が履践しなかった違法を主張するが、前記認定説示からすると、同科長に右手続の履践義務があり、従って控訴人の医員申請書の完成、提出義務がある、といえないことが明らかであるから、これについての同科長の故意、過失を論ずるまでもなく右主張は理由がない。

2 次に、控訴人の医員採用が同月二四日又は翌二五日頃に決定又は内定していたわけでないことは前記のとおりであり、かつ、本件は前記のように日々雇い入れられる一般職の非常勤職員たる国家公務員の任用更新期間の終了に関する事案であるから、第一に、同科長は前記のとおり控訴人作成の医員申請書の進達を法律上義務づけられているものでなく、またその不進達に正当な理由を要するといえない事案であり、かつ第二に、本件は、私企業における臨時工等に対するいわゆる傭止めの場合のように一定の事情のあるときに解雇に関する法理の類推をみるべき事案でもないのである。従って、この点で控訴人の請求原因3(二)の主張はすでにその前提を欠くものといわざるをえない。

また、右のとおり、同科長には右申請書進達の義務がないのであるから、この不進達については、その当、不当の問題が生ずることはあっても、通常、違法の問題の生じる余地はない。ただ、極めて例外的に、例えば、同科長が控訴人に対する私憤にかられ控訴人を害する目的のみをもって右不進達に及んだ場合のように不進達が著しく不当なものであるときは、この不進達が違法性を帯びるものになると解される。

そこで本件において、同科長の右不進達が著しく不当なものといえるかどうか、すなわち、本件不進達の違法性の有無につき検討しよう。

まず、前記医局内規試案(以下単に内規案ともいう)の点に関しては、《証拠省略》を併わせ考えると、内規案の中に、法律や規則に定められた同病院の人事や予算に関する同病院の管理の権限を制限し、これと抵触する規定のあることが認められるから、同科長において内規案の支持を頑強に主張する控訴人を同科の医員として不適当と判断したことをもって不当とすることはできないし、シュライバーの点に関しても、前記認定、説示の事実、弁論の全趣旨からすると、同科において、長年通常行われてきたシュライバーの業務を特定の日に前認定のような理由で一方的に拒否することは、資格ある医師がこの業務につくことについて医師の間で意見が分れているとしても、妥当を欠くものとみることができるから、同科長において控訴人の右言動は妥当でなく協調性を欠き、このような挙にでる控訴人を同科の医員として不適当と判断したことを不当とみることはできない。

そして、右のような内規案支持、シュライバー拒否の控訴人の態度、言動を同科長が同年一月前に知っていても(その程度は別としてそのような事実を同科長においてその頃すでに知っていたことは前掲各証拠によって十分認められる)そのことが、当裁判所の右判断に影響を与えるものでないことは、前記認定、説示から明らかである。

《証拠省略》によると、昭和五五年度任用期間につき、同科の医員となったものの中に、右内規案を支持し、シュライバー業務を拒否した者のいることが認められるけれども、同時に、これらの者と控訴人との間の、その支持の程度、強度、右拒否の程度、頻度の相違、その他の勤務態度、将来の見込み等の異同も同科長において考慮していることが認められるのであるから、控訴人の医員申請書のみを不進達とした故をもって、これをあながち不当ということはできない。

本件不進達は医師と担当患者との治療関係を一方的に破壊するものであるとの控訴人の主張については、右のような治療関係が十分な引継ぎのなされないまま切れてしまうことはもとより望ましいことではないが、この問題は医師が退職する場合に必然的に生ずるもので、要は次に来る医師との引継ぎの問題であるから、右問題が生ずる故をもって本件不進達を不当視することはできない。

右のとおりであって、結局、控訴人主張の右の各違法事由は、これらを個々的にみでも、又は総合的に観察しても、同科長の本件不進達を不当とするものと認めることができないし、まして右不進達を違法とみることはとうていできない。

請求原因3(二)の主張は理由がない。

五 以上の次第で、控訴人の本訴請求はその余の判断をまつまでもなく理由がなく、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。よって、本件控訴はこれを棄却することにし、控訴費用につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老塚和衛 裁判官 高橋爽一郎 宗哲朗)

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